子育てと学校

子ども

今日は、Nagatacho GRIDというところで行われた、

「誘導しない子育て」

というイベントのweb中継を家族で見ていた。

モンテッソーリ教育、レッジョエミリアの研究者である、島村華子さんが講演していた。

どちらの教育法も大事にしていることは、

「子どもを1人の人間として接する」

ということなんだけど、

日本では、それが本当に難しい。

世間体、

大人の見栄、

親の都合、

そういったものに子どもたちがすごく振り回されている。

かくいう自分も、知らず知らずのうちに自分の娘をコントロールしようとしていることがある。

まだ寝たくない

お風入らない

ご飯を食べない

そんなことで、娘を自分の都合に合わせて動かそうとしている自分がいる。

もしかしたら、それを不思議に思われない方もいるかもしれない。

親が子どもに対して、それをさせることが普通だと思う方もいるかもしれない。

けれども、相手が友達だったら、どうだろう。

間違っても、

「お風呂に入りなさい」

なんて言わないだろう。

相手のの人格を尊重するなら、

話を聞いて、

風呂に入ることの意味を伝えるだろう。

相手は人間なのだから、

感情があって、

意思があって、

自由を求めるのが

当たり前なのに。

自分の子どもだからといって、親の思い通りになんかできないのだから。

教育の現場は今、大きな転換期を迎えているように思う。

アクティブラーニングに始まり、

対話型の授業、

教科を横断した活動

などを取り入れて始めている。

でも、大事なことは

子ども自身の知りたい、やりたいという意思をどれだけ尊重できるかだと思う。

保育の現場では、

子どもは自らを育てる力、

自己教育力を持っていると言われている。

興味を持ち実行できる環境があれば、

大人が教えなくても、子ども自身のやり方で目標に到達するということ。

そして、何をするか、どうやってやるかは、子ども自身が決めればいい。

大人はそれを信じて待つのだ。

今、娘は小学校に行きたくないと言って休んでいる。

簡単に言えば、不登校だ。

友達や先生は大好きで、人見知りをしない娘が言うには、

私は漢字を書きたいのに、算数の時間だからそれができない。

みんなと同じようにやらなきゃいけない。

それが嫌なのだと言う。

まさか、自分の娘が不登校になるとは思ってもみなかったが、

好きなことをして

自分のやりたいようにやればいい

そう言ってきたのは自分だった。

今の学校という場所が、

自分にとってそれだけ不自由な場所であることを、

彼女は全身で示してきたのだ。

世間体も気にした。

保育士をやっていたのに、

自分の娘も学校に行かせられないのか。

そんな言葉が頭に浮かんできた。

実際、娘とどうしたら学校に行けるかということを話し合ったりもした。

しかし、無駄だった。

それだけ、彼女にとって学校へ行くということが、

アイデンティティを脅かすことなのだと思う。

ウチの屋号の「れちとび」は、

Let it be.

からきている。

WAKUメソッドによって、

子どもたちが自分をありのままに表現し、

そして受け入れられることを目標にしたから。

それなのに、自分の娘のSOSを受け入れられないようでは、

「れちとび」を名乗る資格がない。

娘の見ている先を一緒に見てみようという思いを改めた一日だった。

リリアンを編む娘

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