こんな運動会はいかが?

積木

長女の小学校で運動会があった。

長女は2年生から入学して2年目だけど、今回が初めての運動会。

去年はコロナのせいで出来なかった。

子どもも、

教職員も、

親も、

学校の誰もが、今回の運動会を待ち望んでいた。

校庭に入った時のドキドキとワクワクは、ここ数年で1番だったと思う。

ところで、娘の学校の運動会はちょっと変わってて、

開会式に並んで入場行進とか、みんなで整列とかしない。

全員が競技に出なきゃいけなかったり、事前に誰が何に出るか決めたりもしない。

そもそも、事前に運動会の練習というものをしない。

人によっては、こういう運動会にあまり意義を感じないかもしれない。

多分それは、何を目的とするかが全く違うからだと思う。

最初のあいさつで校長先生がすごーく楽しそうに(ホントにめっちゃ嬉しそうだった)言っていた。

「みんなで楽しみましょう」

「いろんな人と交流してください」

「怪我には気を付けて」

もうちょっとなんか言ってたような気もするけど、大体こんな感じだった。

「頑張った成果を保護者に見せる」というのが一切ない。

表には出さない裏テーマ的にも感じないのは、すごいことだと思う。

時間を短縮することもあって、やった種目はたった5つ。

スプーンでボール運び。

かけっこ

サーキット(的当てやペナルティキックが混ざったやつ)

2チームに分かれての大型リバーシ

リレー

かけっこ以外のどれもが子どもと保護者の合同種目で、

すべての種目がその場でやりたい人が参加する形式。

そのかけっこですら、1年生と6年生が同条件で走ったりする。

どちらが早いかなんて一目瞭然だ。

でも誰も文句を言ったりしない。

速さによる優劣をつけることが目的ではないから。

最後のリレーには僕も参加し、

僕が参加したチームはビリだった。

早かった3チームは早々にアンカーまで走り終わり、

残りの1チームにも最後に抜かされた。

でもその時のアンカーだった女の子は、

みんなの大喝采の中を、

これでもかというほどの笑顔で帰ってきた。

たまらなく素敵な顔だった。

(写真で見せられないのが悔やまれる)

どことは言わないけど、最近運動会の練習をチラッと見た学校では、

「白組のそこの人、少しずれてるよ」

と、整列している子どもに先生がメガホンを使って言っていた。

最近話題になっているオリンピックですら、今どきは入場で並ばない国が増えているというのに、

せいぜい10年くらいしか生きていない子どもたちが、少しもずれも許されないものなのか?

そして、そういう子どもの姿を保護者に見せられないというのは、

先生たちの自己肯定感の低さでもあると思う。

「きちんとしたものを見せなければならない」

というのは、言ってみれば

「子どもたちにこんなこともさせられない自分は、先生としてダメだ」

ということ。

それは、今まで受けてきた教育の中で刷り込まれてしまっているのだと思う。

もはや先生たち自身の問題を超えてしまっているけれど。

現代社会はとかく、「失敗」に対して不寛容だ。

子どもなんだから、試行錯誤の中でたくさんの失敗(正直、子どもにとってはそれも失敗ではないのだけれど)をするのは当たり前のはずだ。

なのにそれ人に見せられないとなると、

「失敗するところを見せることはいけないことだ」

というのを無意識のうちに刷り込まれてしまう。

これほど子どものチャレンジ精神を削ぐものは無いんじゃないだろうか。

グダグダでもいい。

きれいに並べなくてもいい。

失敗したって構わない。

子どもたちに参加を強要しないからこそ、

全力で取り組み、

心から楽しむ姿がそこにはあった。

本当にいい運動会だった。

みなさんどうですか、こんな運動会。

階段の手すりにぶら下がって遊ぶ次女

5月30日(もう今日だけど)は、佐久市駒場公園でねこマルシェがありますよ。

今回も、れちとび出店です。

お近くの方はぜひ来てね。

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